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大頭神社

御祭神

大山祇命、国常立命、佐伯鞍職命(厳島神社初代神職)

例  祭

十月第四日曜日(旧例祭日旧暦九月二十八日)

本  殿

三間社流造、檜皮葺(間口四間、奥行三間)
昭和五十六年再建

付属社殿

幣殿(一〇坪)、拝殿(一五坪)、神楽殿(六〇坪)、御供所(一〇坪)、社務所(二四坪)、参集殿(三七、五坪)、鳥居二基
※幣殿、拝殿は木造重層建築。木造重層建築の神社は、富士の浅間大社とともに他に例のない建築様式である。
  

境内地

七五〇坪

境外地

六、〇〇〇坪

摂末社

報国神社(英霊四百六十四神)

境外社

大田社 (御祭神 酓隹山祇命 鎮座地 廿日市市大野塩屋)
三槍社 (御祭神 葉山祇命 鎮座地   〃   三鎗谷)
椎宮神社(御祭神 中山祇命 鎮座地   〃    中山)
原神社 (御祭神 奥山祇命 鎮座地 大竹市栗谷町奥谷尻)

伝  承

『芸藩通志』によると、大頭神社の末社である中山大歳社(椎宮神社)、塩屋山祇社(太田神社)、奥谷尻河内社(原神社)、三鎗谷三鎗社(三鎗神社)は大頭分身の神と伝えられている。
『日本書紀』一書によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬り給う時、その首が大山祇命、身中が中山祇命(椎宮神社)、手が麓山祇命(三鎗社)、腰が正勝山祇命(原神社)、腹が奥山祇(原神社)と化したといい、首、即ち頭より成った大山祇を祀るため当神社を大頭神社と称し、また四末社は他の部分より成った神を祀るための分身と伝えられている。

由  緒

嚴島神社の摂社として推古天皇十一年(六〇三)に創祀されたと伝え、古くは嚴島兼帯七社の一とされた。
もと郷桑原に鎮座したが、大正二年に現在地に遷座した。
楽音寺蔵「安芸国神明帳」に佐西郡二位五前として大頭明神とある古社である。
正安二年(一三〇〇)「伊都岐島社未造殿舎造営料言上状」に「大頭社一宇三間一面、同戎殿一間一面、同拝殿一間一面、庁屋五間一面、御供屋三間、鳥居一基」と記されており、鎌倉時代には既に多くの社殿が建ち並んでいたことが知られる。また、平清盛の頃より毎年米五十三石余りを奉納されていたと伝え、毛利元就公の時に二十三石、福島正則公の時に十六石、江戸時代に至るも十二石の社領米を有していた。寛永十四年(一六三七)再建の棟札を蔵す。
  

特殊神事

[四鳥(しちょう)の別れ]
旧暦九月二十八日に斎行。
嚴島の神烏(ごがらす)四羽が飛来し、御烏喰式(おとぐいしき:神烏にお供えをする儀式)を行った後、親烏二羽は紀州熊野に帰り、子烏二羽は嚴島の弥山に残って、次の一年間の祭りを享ける。
これにより大野は古くから別鴉郷(べつあのさと)と呼ばれた。